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アメリカ軍の出動

マッカーサーは6月29日に東京より専用機のダグラスC-54「バターン号」で水原に入り、自動車で前線を視察したが、敗走する韓国軍兵士と負傷者でひしめいていた。マッカーサーは70歳を超えていたが、自ら戦場を歩き回った。マッカーサーは派兵を韓国軍と約束し、その日の午後5時に本拠としていた東京へ戻った。なおマッカーサーはその後も韓国内にその拠点を置くことはなく、東京を拠点に専用機で戦線へ出向き、日帰りででとんぼ帰りするという指揮方式を取り続けた。

マッカーサーは本国の陸軍参謀総長に在日アメリカ軍4個師団の内、2個師団を投入するように進言したが、大統領の承認は得ていなかった。さらにマッカーサーは、本国からの回答が届く前に、ボーイングB-29やB-50大型爆撃機を日本の基地から発進させ、北朝鮮が占領した金浦空港を空襲した。トルーマンはマッカーサーに、1個師団のみ派兵を許可した。

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この時、アメリカ陸軍の総兵力は59万2000人だったが、これは第二次世界大戦参戦時の1941年12月の半分に過ぎなかった。第二次世界大戦に参戦した兵士はほとんど退役し、5年の平和によって新たに徴兵された多くの兵士は当然の事ながら実戦を経験していなかった。

一方の韓国軍は、7月3日に蔡秉徳(日本陸士49期卒・元日本陸軍少佐)が参謀総長を解任され、丁一権(日本陸士55期)が新たに参謀総長となり、混乱した軍の建て直しに当たっていた。しかし、派遣されたアメリカ軍先遣隊は7月5日の烏山の戦いで敗北した。

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2009年11月10日 01:07に投稿されたエントリーのページです。

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